闘病記 (医師が病に伏して思うこと) 第6話

闘病記(医者が病に伏して思うこと)
                第6話 死生観(1)                                                         いつきクリニック一宮 松下豊顯
人間、自らの死や生について考えることなど、身近な人の死や自身が大病、大事故に遭遇しない限り、日常生活でほとんどないと思う。私自身は職業上、人の生死にかかわる機会が多いこともあり、死や生き方について考える機会は一般の人々より多かったと思う。
私は5年前に妻を病気で亡くし、今は自らが病に伏して闘病生活を余儀なくされている。病に苦しんでいる時は誰しも、他に何も望まないから今の苦しみから解放されたいと願うし、今までの自分の生き方、これからの生き方に思いを巡らす。妻を看取った時、死と生と今後の人生について考えた。そしてこの度、自身の大病により再び自らの人生を考える機会が与えられた。
ここで改めて「死と生」について語る。妻が亡くなった半年後に岐阜県医師会報(2018年1月号)に私が寄稿した当時の文章「妻を亡くして思うこと」を振り返りつつ、闘病を経た現在の死生観、健康や幸せについて触れてみたい。                 
     妻を亡くして思うこと
心底悲しくて泣いたのは何十年ぶりだろう。昨年 6 月 に妻は逝った。半年たった今でも食卓の向こうにいた妻を思い出すと淋しくなる。月命日に墓前に花を手向けに行くたびに、妻を葬る場所を探し求めてここに来たことを思い出し涙が溢れる。妻は平成14年、肺癌の手術を受けた。進行癌であり長生きできないと諦めていた。
しかし奇跡的に15年間という長い時間を生きることができた。同時にそれは長い闘病の日々であった。安定していた時期は、このまま天寿 を全うするのではという錯覚までいだいた。
しかしゆっくりとその時は訪れた。妻が亡くなる数か月間、そして四十九日が過ぎるまでは私の人生で最も濃密な時間で あった。いよいよ妻の死期が近づいていると悟った時、一日中絶えることのない咳と息切れのため、妻は苦しんでいた。この頃から台所に立てなくなった妻の代わりに私がすべての家事を引き受けることになった。
玉ねぎの皮さえ剥いたことのない私が、妻に教わりながら不器用にも二人分の料理を準備する日々が始まった。診療の合間、昼休みに家に戻っては夕食の準備をし、また診療に戻る日々が過ぎた。その間も妻の病状は進行し、4月半ばに呼吸困難のため緊急入院した。生きて我が家に戻れないという気持ちがよぎった。妻の病状を気遣いながらも、葬儀やお墓のこと、死後に待ち受けている様々な手続きなど頭の中を駆け巡り、真っ白になった。幸い懸命な治療のおかげで、病状は持ち直し2週間後に退院することができた。
しかし早晩再入院になることは容易に理解できた。妻が少しでも動けるうちに私にはやるべきことが山ほどあった。子どもたちに迷惑をかけないよう、死んだ時は共に永代供養を受けようと話し合っていた、が具体的には何も決めていなかった。何処で永代供養をお願いすべきか思い悩んだ挙句、縁あってある場所に辿り着いた。息も絶え絶えにゆっくり坂道を歩く妻の体を支えながら、墓石が並ぶ埋葬の地をしばらく眺め、妻は「ここでいい」と言った。
秋には長男が結婚式を挙げる予定であった。妻の病状が秋まで持たないことは明らかで、 6月中旬に両家の家族8人だけの結婚式を挙げることにした。酸素吸入しながら車いすの参加でも何とか息子の結婚式を見せてやりたいと強く願ったが、5月半ばには安静時にも酸素が必要な状況となった。在宅酸素が始まり、介護ベッドの準備のため、仕事の合間をぬって市役所や地域包括支援センターなどを走り回った。どの人も迅速かつ親切に対応 していただき、本当に感謝に堪えない思いであった。少しでも長く自宅で過ごせるように、私が思いつくことはすべて行った。
しかし努力も虚しく、6月初めに妻は再入院した。これが最後の入院だと思った。付き切りの看病も虚しく、日に日に病状は悪化し、何とか結婚式を見届けさせてやりたいという家族の願いは届かなかった。妻のいない7人だけの結婚式を終えた私たちは、病床で苦しむ妻に報告した。妻は喜び、息子の手を握った。そして2日後、妻は帰らぬ人となった。妻の死後、四十九日までの間は時間の感覚が麻痺するくらい慌ただしい日々が過ぎた。今は当時の濃密な時間を冷静に振り返ることができる。今まで私は葬式もお墓も仏壇も必要ないと思っていた。しかし妻の死を境にその考えは間違いではなかったかと思い始めている。妻の死後仏壇に花を切らしたことはないし、月命日には墓前にも花を手向ける。そうすることで自分の心も安らぐことに気付いた。お墓も仏壇も故人の為のみならず、残された家族の為のものでもあると思うようになった。妻の死に際し、できる限りのことをしたつもりであったが、一つだけ今も後悔していることがある。死の3日前、せん妄に陥った妻が「家に帰る」と言ってベッドから立ち上がろうとする。なだめては寝かせることを何度も繰り返すうち、「今度家に帰る時は死んだ時だ」とつい言ってしまった。妻は一瞬悲しそうな表情をし、起き上がろうとはしなくなった。「早く一緒に帰ろう」と言ってやれば良かったのに、なんでこんなひどいことを言ってしまったのかと、今でも思い出すたび慙愧に堪えず涙する。 今は家に帰っても一人ぼっち、いや、生前妻がかわいがっていたチワワと二人ぼっちだ。そんな犬の世話が今では癒しにもなっている。妻に教えてもらったおかげで、レシピをみながら、下手くそながら自分で調理もするようになった。還暦を迎える年を一人で生きることに不安もある。朝目覚めた時、無事に朝を迎えられたことを神に感謝する。今より健康になろうと思わない。病気の苦しみさえなければ。今より幸せになりたいと思わない。不幸でさえなければ。妻を亡くして、生きることにより謙虚になった。
20220411-1
(この文章は2018年1月、岐阜県医師会報に掲載したものである)
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