闘病記 (医師が病に伏して思うこと) 第5話

闘病記(医者が病に伏して思うこと)
第5話 闘病生活がなければ気付かなかったこと
いつきクリニック一宮 松下豊顯
半年に渡る化学療法も残り3分の1に差し掛かる現在、抗がん剤の蓄積の影響か、身体的にかなり辛い状態が続いている。治療初期には感じなかった筋肉のだるさ、脱力のため、立ち上がったり、歩いたりすることも苦労している。まるで自分の身体がロボットのようで、心身一体感を失ってしまった。つくづく抗がん剤は身体に毒であることを実感する。
病気の経過については改めて述べるが、闘病生活がなければ自分が気付かなかったことをいくつか今回はお話ししたい。
【バリアフリー】
長く苦しめられた倦怠感から解放され、今は抗腫瘍薬の副作用と付き合っていく日々だけと言いたいところであるが、倦怠感が改善した後は、手足の痺れと左足の運動障害が最大の悩みの種となった。
病床と室内トイレの移動以外は寝たきり状態が長く続き、廊下歩行を再開したのは退院1週間前からであった。この頃は両側手指の痺れと左足の痺れで運動機能障害はないと考えていた。入院時の脳神経内科診察でも運動機能は正常であり、廊下歩行を再開した時、左下肢が歩きづらいのは痺れのためと思っていた。
しかし退院後も左足の歩行障害が持続するため、詳しく観察したところ、左腓骨神経麻痺と思われる左足関節背屈障害(爪先を上に向けるような足首の運動ができない状態)に気付いた。普通に歩行している時は、爪先で地面をけり出し、踵から着地する。
無意識にこれを交互に繰り返すことでスムーズな歩行が可能となる。背屈障害があると踵から着地することができず、足底を水平に着地させることになる。また、爪先が下垂するため、僅かな地表の凹凸でつまずきやすくなる。それを避けるため歩行時に病側の足を反射的に高く上げて歩こうとする(鶏歩)。
現在リハビリ中であるが状態は改善していない。歩行に時間がかかり、左足の痺れのためバランスも崩しやすく、特に階段昇降が不安定である。
健康な時は手すりのありがたみを実感することなどなかったが、自ら歩行障害を持つようになり、初めて手すりなどの補助用具がありがたいと思うようになった。手すりのない階段では壁に手を添えて昇降するだけでも助けになる。手すりがあるだけでかなり安心して昇降できる。歩行障害にとって手の補助がどれだけ重要かということを心底理解した。
自らが身体障害を体現するようになって初めて障害者の気持ちを共有できる入口に立った気がする。電車に乗る時は乗り継ぎ時間に注意するようになった。乗る車両もエレベーターやエスカレーターに近い車両を調べて乗るようになった。
今日までは駅のエレベーターを利用することはなかったが、今ではエレベーターのありがたみをしみじみ感じる。そしてエレベーターは本当にそれを必要とする人々(身体障害者や高齢者、妊婦など)のために出来る限り空けておいてあげるべきだと切に思う。元気な若者は便利だから、楽だからという理由だけで駅のエレベーターは使うべきでないと真剣に願うようになった。周りに人がいなくても、一生懸命それを必要とし、辿り着くため苦労しながら向かってくる人がいるのである。そのような人々は移動に時間がかかるので、エレベーター待ちをしている間に目的の電車に乗れないことが容易に起こる。私自身も以前のように走ることができれば、乗り継ぎ時間やエレベーターの場所を気にせず移動できたのにと思うことばかりである。
障害には様々な種類がある。自分はまだ歩行障害のことが少しわかっただけである。その他様々な障害には障害の数とその重症度に応じた悩みや苦しみが存在する。できるだけ様々な障害に対して共感できればと思うようになった。
バリアフリーは単に障害者が日常生活で困らないためのハードの問題ではなく、様々な気配りを絶やさない人々の気持ちがより重要と思うようになった。歩いていると進路を譲ってくださる見知らぬ人々に感謝。
【病床マット】
この度の病気で私は1カ月以上の長期に渡りほとんどの時間を病床で過ごした。病初期には長期間の臥床による身体への影響など考える余裕はなかったが、治療が始まり倦怠感が改善し、精神的にもゆとりが出始めた頃、初めて長期臥床していたにもかかわらず全く身体的なストレスを感じていないことに気が付いた。
最初に病床に寝た時はやや硬いと感じた。しかし寝返りなど体位変換に全くストレスを感じなかった。
私が勤務医時代の頃は、長期臥床による腰痛や床ずれなどがしばしば問題になっていた。近年はそのような問題を耳にする機会は減った。技術の進歩により病床マットの性能が格段に向上したおかげであろうか。最初硬いと感じたマットも体位変換にストレスない程度の硬さを保ちつつ、適度な沈み込みによる体圧分散を確保しているのであろう。
シーツ交換時にマットを見て、その薄さにさらに驚いた。後日看護師に使用しているマットについて質問したところ、マットには高反発面と低反発面があり、自分が使用しているマットは高反発面を上にして使用しているとのことであった。
2022年1月4日、化学療法のため2回目の入院時のことである。2日目の夜、身の置き所がない腹部不快症状のため一晩中寝返りを繰り返していた。あまりにも寝返りに体力を使い、疲れ果てたので原因を考えたところ、自分の身体がマットに沈み込みすぎ、寝返りが困難になっていることに気付いた。てっきり病床マットの裏表が前回とは逆で低反発面が上になっていると考えた。
シーツ交換の日、マットの裏表を逆にしてもらおうと相談していたら、マットを見て驚いた。前回入院時と全く別のマットであった。恐らく寝たきり状態に対応した褥瘡予防マットではないかと思われた。体位変換が可能な人間が、身体が沈み込む低反発マットに寝ることがどれだけ身体に負担がかかるのか初めて体験した。
その後、前回使用したのと同じマットに交換していただき、以後快適な入院生活を過ごした。患者様の病態に適したマットの選択がいかに重要かということも身をもって体験した。
【アドリアマイシン】
現在私が受けている治療の中にアドリアマイシンという抗がん剤が含まれている。今回使用する様々な薬の中でもひときわ綺麗なオレンジ色をした薬だ。まるでオレンジジュースを点滴しているような錯覚に陥る。アドリアマイシンは原末も綺麗なオレンジ色をしている。入院中、初めてアドリアマイシンの点滴を受けた時非常に奇妙で感慨深い気持ちになった。
アドリアマイシンは歴史の長い、古典的な抗がん剤であるが、現在も現役の治療薬として活躍している。累積使用量がある一定のレベルを超えると副作用として心筋毒性が出現することでも有名だ。
今から30年近く前、私はアドリアマイシンの急性心筋毒性について研究していた。モルモット左室乳頭筋の活動電位と張力を様々な刺激条件で観察し、アドリアマイシンの心筋に対する急性作用を調べていた。前述の通りアドリアマイシンは原末から綺麗なオレンジ色で溶解液もオレンジジュースのようだ。実体顕微鏡で乳頭筋を眺めていると、やがてオレンジ色液体が流れてきてまるで夕焼けを見ているような錯覚に陥る。来る日も来る日もオレンジ色の液体を眺めながら2年間という時間を過ごした。その同じ液体が今は点滴ルートを通り、自分の体内に流れ込もうとしている。
30年前の研究室での光景が目の前に重なり、何とも不思議な感覚に捕らわれた。この日は4種類の薬を点滴したが、アドリアマイシンだけは最初から最後のオレンジがルートから消えるまで見つめていた。
強調文