闘病記(医師が病に伏して思うこと)第7話
闘病記(医者が病に伏して思うこと)
第7話 死生観(2)
いつきクリニック一宮 松下豊顯
死生観の続きである。この原稿を執筆している時点で、ロシアのウクライナ侵攻により街が破壊されていく様子や多くの一般市民が犠牲になっていく姿が連日のように報道されている。一方2019年12月より始まったコロナ禍は終息に向かいつつあるとは言え、日本も含め世界中で多くの人々が犠牲になった。取り分け私が心を痛めるのは、コロナ禍以降、亡くなられる人は家族にも看取られることなく孤独に死んでいくということだ。人生の最後にしてあまりにもむごい仕打ちだと思う・・・。東日本大震災から11年が経過した。日本では地震や豪雨など自然災害でも多くの命が奪われる。病気や事故、自然災害、戦争などのため人々は死んでいく。
最近つくづく思うことは、人の死はしばしば突然にやって来るということだ。今朝、当たり前のように太陽がのぼり、そして明日の朝も同じように夜が明けると思っていた。しかし彼ら、彼女らは二度と日の光を見ることはなかった。
昨年10月に私が発病した当初、あまりの病勢の速さに一時期は死を意識した。また病気で苦しみ1カ月以上病床から動けなかった時期、そして四肢のしびれや知覚障害、左足の運動麻痺に苦しめられている今を通して思うことは、当たり前と思っていた日常は当たり前ではなかったと言うことだ。健康を失った時、健康であることすら意識せず、当たり前のように生活していた一日が、大袈裟と思われるかもしれないが、まるで奇跡のような一日であったのだと感じる。普通に歩いたり走ったりしていた頃は自由に活動できる自分が当たり前で、自分の身体に感謝することなど思いも及ばなかった。失って初めて当たり前の日常がいかに貴重な時間であったかに気付く。ある日ウクライナのマリウポリ製鉄所地下壕で1カ月余りの生活を強いられた一般市民ご婦人の言葉をニュースで聞いた。今一番望むことを問われ、「外の空気を思い切り吸って、温かい紅茶を飲みたい。当たり前すぎて、そんなことかと思われるわね。」と答えた。それを聞いた時、彼女の気持ちが痛いほど理解できた。
5年前に妻を亡くした後、心にポッカリ空洞のできた日々が続いた。妻がいて当たり前と思っていた日常が当たり前ではなかったことに気付いた。この時、自分はまだ元気で生活できていると思った瞬間、当たり前のように生活できていることに感謝の気持ちが湧いてきた。このような平凡で退屈な日々を有り難いと思い、ずっと続いてほしいと神に祈った。その5年後、人生で初めての大病、入院を経験し、今も病気の影響で四肢の症状に悩まされている。残念ながら病気の苦しみも経験し、平凡な日常生活も継続できない結果になってしまった。しかしそれでも神に感謝している。闘病生活を経験することにより平凡で普通の日常生活の繰り返しがいかに幸せであったかと言うことをより深く理解することができた。
死生観を語ることは幸せな人生とは何かについて考えることでもある。誰が見ても羨ましい人生を送っていても、自らを幸福と感じない人もいれば、決して幸福とは思えない人生の中にも幸せを見出す人もいる。人生の価値観や幸福の尺度は人様々であり、ここではどのような人生を生きるべきについて語るつもりはない。ただどのような人生を送ろうとも死の瞬間に「それでも自分が生きてきた人生には意味があった」と納得して死ねる人は幸せな人生を生きた人であると私は思う。そして生涯自分の幸福のみを追求する人生を送ってきた人は死ぬ瞬間に心空しく感じるのでないかとも思う。社会や人々のために貢献する人生など大それた目標を掲げる必要はない。自分が生きてきたことにより、たった一人でも誰かに心の安らぎや幸せを分け与えることができたと思える人は幸せな最後を迎えるのではないだろうか。
強調文