松下医師コラム ~仏の雫~ 第6話

赤ワインが苦手で、ワイン知識ゼロの小生が「何とか赤ワインを美味しく飲めるようになりたい」と奮闘努力したワイン修行の初期体験記、第6回目である。小生にとって修行の旅は新しい発見の連続であり、思わぬ展開に身を任せ進んで行く。話のつながり上、第1回目(いつきクリニック一宮ブログ2019.9.17に掲載)から順に目を通していただければ幸いである。それでは寄り道や脱線を繰り返しながらも進んでゆく珍道中の続きをご一緒に。

12.ワインの香り、薔薇の香り― 夜来香(イエライシャン)―

第5話ではワインの香りについて触れた。ワインの香りを表現する時、しばしば花の香りに例えられる。すっきり爽やかな白ワインの香りは白い花に例えることが多い。白い花って何?水仙、スズラン、ジャスミン、モクレンなどが思い浮かぶが具体的にどういう香りか説明するのは難しい。あまり濃厚な香りではなく、爽やかなそよ風が吹き抜けていくようなイメージ。一方赤ワインの香りは赤や紫の花、南国系の花にしばしば例えられる。ボタンやスミレ、ゼラニウム、そして薔薇。薔薇と言えば香りの花であり、初めて薔薇を育てる多くの人は自分のお気に入りの香り、強く香る薔薇を手に入れたいと思うのではなかろうか。ワインの香りに続き、香りつながりで今回は薔薇の香りについて触れてみたい。薔薇の香りにはいくつかのグループがあり最も古典的な薔薇の香りである「ダマスク」、フルーツ系の香りの「フルーティー」、お茶の香りの「ティー」、お香やオリエンタルな香り等々。また香りの強さにより、微香、中香、強香 などに分類される。ここに香りのいい一つの薔薇を紹介しよう。その薔薇の名は「夜来香」。夜にやって来る香り(夜に香る花)と書いて「イエライシャン」と読む。夜来香に初めて出会ったのは2023年の秋、岐阜県可児市にある「ぎふワールドローズガーデン」を訪れた時の事である。美しい青薔薇が目に留まった。そしてフルーティーないい香りを放っていた。本来自然界に青い薔薇は存在しない。薔薇には青色の遺伝子が存在しないからだ。しかし、世界中の薔薇の育種家が様々な薔薇と薔薇の交配を繰り返しながら何とか青い薔薇を作り出そうと努力を重ねてきた。それら育種家の一人が日本の河本純子さんであり、岐阜県揖斐郡大野町の河本バラ園で様々な新しい薔薇の育種を続けてこられた。特に青薔薇やアンティーク調の優しい色合いの薔薇を多く生み出している。ローズガーデンで出会った青薔薇「夜来香」も薔薇の説明に「河本バラ園」と表記されていた。今年(2025年)の春、ふとしたことから河本バラ園を訪れることになり、夜来香に再開できることを楽しみにしていた。また河本純子さんが作出した最初の青薔薇「ブルーヘブン」を題材にした映画「ブルーヘブンを君に」が2021年に上映されたが、まだ観たことがなかったのでこの機会に鑑賞することにした。

この映画は秦建日子監督が青薔薇ブルーヘブン、空の青、ハンググライダーをモチーフにして制作した地域創生映画だ。河本純子を演じる主人公、由紀さおりが高校時代、ハンググライダーを愛する初恋の人から「青い薔薇があるといいのに。川の水も海も青い。そして空もとことん青いでしょう。世界は美しい青でできていると思うんだ。」と言われその言葉を心に秘めて生きていく。恋人はある日彼女に「自分のハンググライダーで池田山から初めて飛び立ち、この時間にこの地点に降り立つからそこで待っていて欲しい」と地図を渡して飛び立つ。彼女は約束の時間、約束の地点で待ち続けたがついに初恋の人の姿を見ることはなかった。そして葬儀で彼の遺影を目にして彼が亡くなったことを知る。悲しみに暮れながらも彼女は生涯を青薔薇の創生にかけ、晩年ついに「ブルーヘブン」を生み出す。しかし彼女はステージ4の癌に侵され余命少ない人生でもあった。そして人生の最後にやり残したこと、池田山からハンググライダーで青空に飛び立ちたいと願い、その願いを叶えるため子ども家族や、さまざま人々が奮闘努力する物語である。そしてブルーヘブンの一番花が咲いた日の朝、ついに願いが叶い彼女は空高く飛び立つ。青い空をハンググライダーで飛びながら彼女はブルーヘブンを一輪ポケットから取り出し、青空に向かって差し出す。青い薔薇を創り上げたことを初恋の人に告げ、彼と懐かしく語り合う。物語はフィクションであるがほのぼのとした愛の物語だ。

さて話を夜来香に戻すと、河本バラ園で夜来香を探したが見当たらない。バラ園の方にお聞きしたところ夜来香はここでも取り扱っているが、同じ大野町の薔薇育種家、青木宏達氏が育成した薔薇で、現在育てている農園の場所を教えていただいた。道に迷いながら何とか辿り着き念願の夜来香を一鉢手に入れ、帰宅した。現在も大事に育てながら夜来香の香りに癒される。

ところで初めて夜来香の名前を聞いた時、どこか懐かしい響きを覚えた。だがどうしてそのような気持ちを抱いたのかわからないまま長い時間が過ぎた。そして今回、夜来香について本稿を書き進めていく過程で、その理由が明らかになった。忘れかけていたが今から四半世紀近く前、東京で劇団四季のミュージカル「李香蘭(リコウラン、リシャンラン)」を鑑賞したことを思い出した。李香蘭の名を初めて知る人のために、劇団四季のHPから「ミュージカル 李香蘭」についての解説の一部を引用させていただく。

― 祖国反逆者の裁きの場で ―
第二次世界大戦直後の中国——「殺せ! 漢奸、裏切り者を」という民衆の声が響きます。
戦争中に敵国日本に協力した漢奸(祖国反逆者)を弾劾する裁判が開かれているのです。
被告席に立つのは、美貌の女優<李香蘭>。
日本語、中国語を流暢に話し、歌う映画女優として満洲映画協会で活躍した香蘭は、
日本の宣伝工作に加担した裏切り者としてその罪を問われることになります。
検察官が死刑を求刑したその時、李香蘭は驚くべき告白をします。
「私は中国人ではありません。日本人なんです」
日本人であれば「祖国反逆」の罪に問うことは出来ない——
人々が困惑する中、日本人「山口淑子」がどのようにして
希代の歌姫<李香蘭>になったのか、その半生が語られてゆきます。

李香蘭のミュージカルの中で香蘭によって歌唱される曲の一つが「夜来香」であった。夜来香は甘い香りを持つ花をつけるキョウチクトウ科の植物の名であるらしいが、残念ながら実物の花も香りも知らない。一度お目にかかりたいと思うが、一般的に夜にいい香りを放つ花全般に対しても夜来香と呼称されるようだ。青木宏達氏がこの青薔薇をどうして夜来香と名付けたのかうかがい知れないが、夜になるとさらに素晴らしい香りに変化するのだろうか。夜に薔薇の香りを楽しむことはないのだが、そのうち昼と夜の香りの違いを一度確かめてみたいとも思う。

いかがでしたか。赤ワインが苦手で、ワイン知識ゼロの小生が「何とか赤ワインを美味しく飲めるようになりたい」と奮闘努力したワイン修行の初期体験記の第6話。寄り道ばかりの旅であるが、今回は青薔薇「夜来香」に巡り合ったことで四半世紀前の「李香蘭」、そして懐かしの歌「夜来香」と再開することができた。長い人生において、断片的に存在していた記憶や経験、思考の点がある時に線によって結ばれる瞬間を感じた時、偶然と思っていた事象が実は必然であったかもしれないと強く感じることがある。
最後に「夜来香」の歌詞を紹介して今回の旅を終わりにしたい。

 

夜来香

あわれ春風に  嘆くうぐいすよ
月にせつなくも  匂う夜来香(イエライシャン)
この香りよ

長き夜の泪  唄ううぐいすよ
恋の夢消えて  残る夜来香
この夜来香
夜来香  白い花
夜来香  恋の花
ああ  胸いたく  唄かなし

あわれ春風に  嘆くうぐいすよ
つきぬ思い出の  花は夜来香
恋の夜来香

あわれ春風に  嘆くうぐいすよ
つきぬ思い出の  花は夜来香
恋の夜来香
夜来香 夜来香 夜来香

いつきクリニック一宮 医師 松下豊顯