闘病記(医者が病に伏して思うこと) 第1話

~発病初期の症状と診断に至る経過~
私は幸いにも63年間、大きな病気もせず健康な日々を送ってきた。
平凡で健康な一日がおくれることの幸せを起床時と寝る前に必ず神に感謝することを日課としていた。
そんな自分に突然異変が訪れた。
2021年9月20日頃のことだと記憶している。
いつものように家のトイレで用を足し、シャワートイレでお尻を洗浄していた時のことだ。下の話で恐縮であるが、いつもはシャワーの当たる部位がピンポイントで認識できるのだが、その日は今一つ分かりにくい。さらにトイレットペーパーで拭いた時、まるで自分のお尻を拭いている感じがしない。
驚いてお尻周囲を改めて触診した結果、肛門を中心に同心円状に知覚鈍麻が発症していることが分かった。
医学生時代に学んだデルマトーム(皮膚の知覚がどの脊髄神経レベルの支配かを表す体表面図)で肛門周囲は仙髄神経(脊髄で最も抹消の神経)の支配である事を思い出した。この時は漠然と便意や尿意が分からなくなると困ったなという思いが頭をよぎった。
その翌日である、両手の指先だけがきれいに左右対称に痺れを自覚するようになった。その痺れは1-2日で指から手全体に広がった。
左右対称に神経障害が出現する病態を医学的にポリニューロパチーと呼ぶが、この時はアルコール性のビタミンB1欠乏症によるポリニューロパチーを自分で疑い、その日から厳格な禁酒を実行した。
またメタボも気にしていたため、炭水化物制限とプチ断食療法も並行して実行した。アルコールを愛飲する私(いつきクリニック一宮のワインブログ、「仏の雫(ほとけのしずく)」も宜しければご一読ください)としては、アルコール代謝にビタミンB1が消費され欠乏状態になり、痺れが起こったのではと考えたが、後に血液検査でビタミンB1は正常であり、この考えは否定された。
手の痺れから1-2日後に今度は左右対称に足の指先から足全体に拡大する痺れを自覚した(但し足は右より左足の痺れが強く、左右差を認めた)。
肛門周囲、グローブ、ソックス状の知覚障害の原因が何かを考えていたその1週間後、今度は全身の倦怠感を自覚するようになった。
最初は軽い倦怠感であったが、日に日に倦怠感は増強した。
週末に十分な休息を取ったつもりであったが、月曜日の朝もさらに倦怠感は進行した。これは只事ではないと確信し、クリニックで血液検査を行った。結果は貧血の進行、血小板減少、炎症反応亢進、LDH異常高値など自分の体の中でいったい何が進行しているのか理解できない状況に陥った。
今や痺れの症状より急速に進行する倦怠感が最大の問題であった。
月曜日には我慢して何とか外来診療ができた。
火曜日には診療での会話もつらくなり、水曜日には途中休まないと診療が継続できなくなった。
透析回診も座って検査画像の読影は何とかこなせたが、倦怠感のため立って透析ベッド回診をする余力はなかった。
水曜日に血液再検査を行い、結果を翌日確認したところ、異常値はさらに進行していた。
この時初めて息子に病状を相談し、職場から通院できる総合病院で精密検査を受けることにした。
10月8日金曜日午前中の診療を早めに切り上げ、受診する予定であったが、診療中に冷汗が出現したため、途中で診療を中断し、そのままクリニック診療を長期休職する結果となった。
すぐに総合病院の総合内科を受診し、診察と各種検査(血液検査、全身造影CT、頚椎MRIなど)を受け、10月11日から1週間の検査入院を予約してこの日は帰宅した。
その後も倦怠感は進行し続け、週末は娘の介助を受けて生活する状態になっていた。入浴もつらく、椅子に座って何とか自力で体を拭くのがやっとの状態であった。
11日月曜日は娘の運転する車で移動し、付き添われて入院した。1週間の入院で骨髄生検や各臓器のMRI検査など受けたが確定診断には至らなかった。退院後に外来でPET-CTなど諸検査を提案されるも、この時点ですでに極度の倦怠感により外来通院する余力は全く残っていなかった。
今までの検査結果と私の臨床経過をもとに息子が初期研修医時代の同期生数名のライングループで緊急症例検討会を実施した。
総合内科、膠原病内科、内分泌内科、血液内科、呼吸器内科、循環器内科の各分野で活躍中の医師6名が急遽意見を交わし、数時間で診断推論を行う光景は、いかにも現代の医師らしく、私の時代には想像もできない事であった。
結局彼らが導き出した結論は、「血液の悪性疾患」を考え精査治療を急ぐと同時に、どこで精査治療を行うかも議論された。
血液疾患は診断に時間を要する場合も多く、血液内科のみならず病院全体の総合力が求められる事を、専門外の私も初めて知った。
血液悪性疾患の診断治療の問題については改めて触れるが、急速な私の病状進行から少しの余裕もないと判断し、強い倦怠感に耐えながら10月18日月曜日に息子が勤務している京都大学附属病院の血液内科に転院入院することになった。
その後、入院から約1週間という短期間で私の症状の原因が「血管内リンパ腫」(悪性リンパ腫の中でも診断が困難な希少疾患)と診断され、翌日から治療が開始された。
次回は入院から確定診断に至るまでの詳しい経過と、血液悪性疾患の診断・治療の困難さについてお話ししたい。
                     いつきクリニック一宮 松下豊顯