松下医師コラム ~仏の雫~ 第3話
仏の雫(ほとけのしずく)第3話
赤ワインが苦手で、ワイン知識ゼロの小生が「何とか赤ワインを美味しく飲めるようになりたい」と奮闘努力したワイン修行の初期体験記、第3回目である。小生にとって修行の旅は新しい発見の連続であり、思わぬ展開に身を任せ進んで行く。話のつながり上、第1回目(いつきクリニック一宮ブログ2019.9.17に掲載)から順に目を通していただければ幸いである。それでは旅の続きをご一緒に。
6.カベルネソーヴィニヨンとピノノワール
ワイン造りに使用されるブドウは、世界中でおよそ1500品種にも及ぶらしい。その中で赤ワインを代表する黒ブドウ品種を2つ挙げるとすれば、カベルネソーヴィニヨンとピノノワールを思い浮かべる人が多いと思う。どちらも赤ワインを代表する品種であるが、それぞれ個性があり、どちらを好むかは意見が分かれるところだ。ちなみに小生はどちらも大好きである(ただの飲んべえか?)。ブドウには土着品種と言われ、その地方固有のブドウが数多く存在し、そこから造られるワインの種類は多いが、その地域でしか流通しない。一方世界品種と言われ、世界中で栽培されているブドウ品種がある。世界品種はほとんどがフランスの各地方を代表するブドウ品種であり、「ワインの学習はフランスワインから始めよ」と言われるのは、フランスワインを学べば、世界中のワインが理解しやすいからである。
さて、フランスのワイン産地でボルドーとブルゴーニュと言う地名はワイン通でなくても聞いたことがあるだろう。それほど有名な2大ワイン産地だ。カベルネソーヴィニヨン(以下カベルネ)はボルドーを代表し、ピノノワール(以下ピノ)はブルゴーニュを代表するブドウ品種だ。この世界を代表する二つの産地、二種類のブドウ品種。その個性はどのように違うのか?
小生が赤ワイン修行の旅を始めたころ、この2品種の個性の違いを見事に言い当てた名言に出会い、甚く感動した。2009年に公開された日本映画だ。カリフォルニアワインを代表する産地であるナパヴァレーを舞台に、男女4人が織りなすコメディータッチの映画だ。タイトルは「サイドウェイズ」。「寄り道してこなかったオトナたちの物語、最短距離がベストの道のりとは限らない!」と言うキャッチコピーの物語。留学時代の友人の結婚式に出席するため、日本からカリフォルニアにやってきた冴えない中年男性の道雄(小日向文世)。独身最後の一週間を男二人でナパヴァレーを旅し、道雄はかつて心を寄せていた麻有子(鈴木京香)に運命的に再会する。冴えない中年男2人が繰り広げるほろ苦いラブストーリーでもある。2004年米国映画「サイドウェイ」のリメイク版であるが、細部は原作とかなり異なる。しかしナパヴァレーに広がるワイナリーの風景は共に、ワイン好きには心惹かれる映画だ。
ところでカリフォルニアワインやナパヴァレーの名声を世界に広めることになった歴史的事件があった。1976年の「パリ・テイスティング事件」である。別名「パリスの審判」。ギリシャ神話「パリスの審判」に重ね合わせて呼ばれるこの出来事はワインの歴史において、産業革命に匹敵する大事件と言われている。世界の最高峰に君臨するのはフランスワインであると自負するのは、自己愛の強いフランス人らしい主張だ。最も世界中のワイン愛好家も同意せざるを得なかった。1976年までは。
この年、フランスはパリでフランスとカリフォルニアを代表するワインを、フランスワイン会を代表する9人がブラインドテイスティング(ワインの銘柄を伏せて品質を競い合うこと)するイベントが開催された。誰もが圧倒的なフランスワインの優位を予測していた。しかしふたを開けてみると赤・白とも一位を獲得したのはカリフォルニアワインであった。フランス人の審査員達は「評価するには成熟期間が足りない。もっと長い年月熟成させればフランスワインが勝つ」と主張した。さらに10年間の熟成期間を経て、1986年再び同じ赤ワインでブラインドテイスティングが行われた。結果またもやカリフォルニアワインが勝利した。フランス以外の世界でも素晴らしいワインが造られることが証明された歴史的瞬間であった。「パリスの審判」については別の機会にまた詳しく触れたいが、ナパヴァレーのワインは「パリスの審判」で赤・白ともに一位に輝き、今や世界中に知れ渡る産地だ。
話を戻そう。道雄はワイン愛好家だ。麻有子は今やナパヴァレーのワイナリーで働くキャリアウーマンだ。麻有子はカベルネを愛飲し、道雄はピノを愛飲する。二人がカベルネとピノの違いについて意見を交わすシーンがある。「麻有子はどうしてカベルネが好き?」道雄が尋ねる。麻有子が答える。「どんな土地で造られてもカベルネはカベルネであることを主張してる。」道雄は言う。「それとは反対にピノはテロワールに大きく左右され、繊細で気難しい。そんなピノを上手くワインに仕立てることができたらどんなワインも太刀打ちできない。」ここで聞き慣れない言葉に出くわす。テロワールである。この言葉はワインの世界では極めて重要な言葉だ。テロワールとはブドウの木が育つ地域の土壌、地形、気候(気温、降水量、四季の変化、霧や風)、等々ブドウを育む自然環境全体を意味する言葉だ。しかし単なる自然環境を超えて、遥かに深い気持がこもった言葉であることがワイン生産者の言動から伝わる。ブドウの木は地中奥深くに根を伸ばし、養分を吸収する。土壌と言っても単に地表部の地質ではなく、何万年・何億年という地球の歴史の中で形成された地層の影響まで受け、ブドウの個性を形成する。ミネラル感の強いワインを飲むと、かつて海底であった土地のブドウから造られたことが想像できる。そのため同じブドウ品種を同じ生産者が育てても、畑が違うとブドウの味わい、すなわちワインの味わいは異なる。
さらに道雄は言う。「ピノはほかの品種とブレンドしない。美味くても不味くても他のブドウのせいにはしないんだ。」ブレンドとは複数のブドウ品種を混ぜてワインを造ることだ。カベルネは単独でも造られるが、しばしば他の品種とブレンドしてワインが造られる。ボルドーではメルローとブレンドされることが一般的だ。そしてブレンドされてもやはりカベルネはカベルネの存在を主張している。一方ピノがブレンドされたワインを見たことがない。もしピノがブレンドされたら、もはやピノの存在はないと思う。ちなみに小生がワインテイスティングの修行を始めたころ、カベルネとピノの味わいをどうイメージしたか。カベルネは「ブルーブラックのインク」、ピノは「森林に差し込む日の光で立ち上がる腐葉土の香り」である。今でもカベルネやピノを飲むときは、そんなイメージを探しながら飲んでいる。
さて「サイドウェイズ」のラストで道雄が麻有子に再会するためナパヴァレーに向けてマスタングを走らせるその時、麻有子のテレホンメッセージに残した言葉、「ピノノアールとカベルネソーヴィニヨン。二人の好みは違うけど、何を飲むかなんて重要じゃない。誰と飲むかが大切なんだ。」
7.薔薇と桜
世界中のワイナリーでは様々なブドウの木が育てられている。しかしブドウ畑にはブドウ以外のある植物が植えられている光景をよく目にする。日本のワイナリーを訪れた時、小生もその植物を幾度か目にした。その植物とは何か?・・・・・・
正解は薔薇である。いったい何故ブドウ畑に薔薇を植えるのであろうか?答えはこの章の最後に触れたい。この章では少し趣を変えて、ワインではなく、薔薇についてお話する。
ひょんなきっかけから小生、薔薇を育てることになった。初めて薔薇苗を購入したのが昨年(2020年)5月下旬。今から考えれば、梅雨と猛暑の夏を前にした最悪の時期に薔薇栽培を始めたものだ。薔薇を育てた経験や知識もなく、病害虫の世話や水遣りや何かと手間のかかる植物だという認識はあった。それ故、我が人生で薔薇を育てる姿など想像したこともなかった。今となってはルーチンワークとなったガーデニングも、特別興味があって始めたわけではない。長年、庭木や花の世話は妻の担当であった。しかし妻が他界した後、多忙に追われ庭木の世話もせず放任状態であった。
数か月たった秋のある日、何気に窓から庭の梅を眺めていた。その時枝の先に蜘蛛の巣が張っているのに気付いた。数日後に再び梅を眺めた時、蜘蛛の巣が拡大しているように思えた。さらに数日後蜘蛛の巣はさらに広がっていた。不審に思い、庭に出て梅の木に近寄ってみて初めて、それは蜘蛛ではなく毛虫の群生であることが分かった。白いレースのカーテンのような巣に、無数の毛虫がうごめく様子はおぞましい光景であった。驚いたその足で、すぐさまホームセンターに走り、毛虫対策用スプレーを購入し何とか駆除をした。その経験から庭木の管理も他人ごとでは済まされないと深く反省し、いやいやながら真剣に取り組むようになった。
翌年、梅の花が咲く頃、妻が寄せ植えに使っていた植木鉢が庭の片隅に積まれていることに気付いた。その時突然、何に血迷ったのか自分でも寄せ植えが造れそうな気分になり、ネットで寄せ植えの勉強を始めた。ホームセンターで花苗を購入し、見様見まねで寄せ植えを数鉢自作した。なかなかの出来栄えではないかと自画自賛したものの、ほとんどの株は冬に消滅した。ただ、今でも春に花を咲かせてくれる子がいる。
ところで我が家の庭には、隣家との境に木製のフェンスがある。フェンスの地上は初雪カズラがグランドカバーし、フェンス両端の柱を這い上がってくる。やがてフェンス全面をカバーし、隣家との目隠しの役割を期待していたのだが、一向にその気配がない。それなら別の植物をフェンスに誘引し、目隠しにしてしまえと思いついたのが薔薇である。
薔薇はとても育てるのに手間暇のかかる植物。途中で枯らしてしまう予感を感じつつ、得意のYouTubeで情報収集。多くの一般人YouTuberが薔薇栽培の動画をupしており、なんだか自分にもできる気がしてきた。それなりに苦労や失敗を重ねつつ、一年余り経過した現在、11種類の薔薇を何とか頑張って育てている。残念ながら一株ご臨終。小生が育て、最初に開花してくれた白薔薇のボレロがお亡くなりになられた。恐らく過労死だ。元々ひ弱な感じの株であったが、けなげに最初に花をつけてくれた。夏から秋にかけても頑張って次から次へと花を咲かせてくれた。その頃の小生は蕾が上がれば何とか咲かせて花を見たい一心であった。他の薔薇が枝葉を増やして成長していく中、ボレロは中々成長しない。逆に花を咲かせるたびに株が小さくなるような気がした。晩秋に最後の小さな一輪を付けた後、葉を落とし休眠期に入った。と思っていた。他の薔薇たちは翌春3月に新芽が芽吹いてきたが、ボレロは二度と芽吹くことはなかった。枝葉が充実していない小さな株は、花が咲くことで栄養が奪われ、株には大変な負荷がかかり、最悪枯れてしまうらしい。そんな知識も薔薇を栽培し1年以上過ぎて初めて学んだ。美しい花を少しでも楽しみたいと言う人間のエゴによって薔薇は枯れてしまう。薔薇は自分が枯れても花と種をつけて子孫を残そうとする。このような薔薇と人間の駆け引きが延々と繰り返されてきたのだ。
薔薇を育てるようになって、薔薇が数多くの植物の中にあって、特別の存在であることを実感するようになった。また、薔薇の花を眺めながら花の姿について色々思いを馳せることも多い。薔薇の花は美しい。また雑誌の写真で見る薔薇の群生は圧巻ともいえる美しさだ。しかし花の盛りは決して長くはない。次の新しい蕾が美しい花を咲かせることを繰り返えすが、それでもやがて株全体が盛りを過ぎ、茶色に変色した見苦しい(人間が勝手にそう思うだけであろうが)姿になってしまう。雑誌で見る薔薇の写真は最盛期の美しい薔薇ばかりだ。壁一面に咲き誇る薔薇の群生が枯れて茶色くなる時期の写真は見たことがない。案外、茶色に枯れた薔薇に覆われた姿も趣があるかもしれない。自分が育てた薔薇の移ろいゆく姿を眺めながら、桜の花のことを考えた。
名古屋には山崎川という桜並木の名所がある。小生が名古屋に住んでいた頃、4回引っ越しをした。いつも山崎川のすぐ近くに住んでいた。桜の花が近くにあり、窓から眺めることができた。薔薇と桜。どちらも美しい花だ。しかし花の在り方はずいぶん違う気がする。桜の花は満開になるや否や、いや、もしかしたら満開になる直前かもしれない瞬間から散り始める。花が散るのではない。花びらが散るのだ。散った花びらは絨毯のように地面を覆い、川面を覆う。花が咲いて美しく、花びらが散って美しい。次の瞬間散り始めることが分かっているからこそ、より満開の桜の美しさが際立っている。このような花の在り方は、桜だけのものであり、決して他の植物にはみられないものだ。そして桜の花が散る姿を見るたびにこの言葉を思い出す。・・・・・・・
「武士道というは(人のために)死ぬことと見つけたり」
最後に質問の答えを。「薔薇は病害虫の影響を受けやすい。薔薇の健康状態を観察することにより、ブドウの木を病害虫から守る」である。
いかがでしたか。赤ワインが苦手で、ワイン知識ゼロの小生が「何とか赤ワインを美味しく飲めるようになりたい」と奮闘努力したワイン修行の初期体験記の第3話。カベルネとピノの話は、ワインを飲まない人にはピンとこなかったかも。しかしワインを飲み始めた人には納得してもらえたのでは・・・。ワインラヴァーが一人でも増えてくれることを願いつつ、修行の旅はまだまだ続く。不定期ながら次回にこうご期待。
いつきクリニック一宮 医師 松下豊顯