仏の雫(ほとけのしずく)番外編

仏の雫(ほとけのしずく)番外編
昨年の今頃、季節が夏から秋、そして急速に冬へと移り変わる頃、私は大病を患い職場から離脱した。「今後仕事に復帰することは無理かもしれない」、「もう仏の雫(ほとけのしずく)を執筆することもないかもしれない」と思っていた。幸い半年に渡る治療の結果、病気は寛解し(治癒ではない)、2022年6月下旬より仕事に復帰できた(詳しくは私の「闘病記」をご参照ください)。そして今年もこのように原稿を執筆する機会に巡り合えた。「仏の雫(ほとけのしずく)第4話」を書こうと思ったが、今年8月末に天国に召されたソラちゃん、私の良きパートナーの愛犬について今回は書いてみたいと思う。
涙の雫「ソラちゃんと過ごした日々」
この世の中は悲しみに溢れている。天災や戦争で多くの人々が苦しみ、命を奪われる。私たちの身近な日常生活の中で悲しみに遭遇することも数多くある。以前から不思議に思うことがある。他人の悲しみ、それも地球の反対側で起こっている人々の不幸や悲しみを、まるで自身や身内の不幸のように共感し、涙を流す人々がいる。国も違えば人種も違う他人の不幸に対しても自然と涙を流す人々の感性の高さに感銘させられると同時に、他人の悲しみを自分の悲しみのように共感し涙を流すことは自分にはできないと思っていた。
私は最近まで一匹の犬と生活していた。メスのチワワで名前を「ソラ」と言う。15年前のある日、家に帰ると一匹の仔犬がいるので驚いた。妻と娘が私に一言の相談もなく仔犬を買ってきたのだ。帰り道、空が青く美しかったので「ソラ」と名付けたという。ソラには尻尾がない。お母さんのおなかの中で兄弟姉妹に押しつぶされ尻尾の骨が丸く変形し、お団子のようになって生まれてきた。尻尾のないチワワに商品価値はないらしく、殺処分になる予定であったと聞いた。しかし顔が可愛いので、尻尾のないチワワとして半値でペットショップに出荷され、娘たちに拾われたという訳である。尻尾を振る代わりにお団子がお尻の上でピコピコ左右に動く様子が面白くも愛嬌がある。ソラのしつけや世話は妻と娘の役割で、私のやることは時々撫でて可愛がってやることであった。仔犬の頃は家の壁や家具をよくかじって妻に叱られていた。椅子やソファーに飛び乗ったり、家の中を全速力で駆け回ったりしてよく転んでいたことを覚えている。そのせいか膝蓋骨脱臼のため両膝の手術も受けた。時々妻と娘が散歩に連れ出していたが、ほとんど室内犬として育てられた。やがて娘が大学を出て、名古屋で就職してからは主に妻がソラの世話をし、その頃妻は自らも闘病生活を送っていた(詳しくは私の「闘病記 第6話」をご参照ください)。妻の病が進行するに従い、私が妻の世話をし、妻がソラの世話をする生活が続き、やがて妻が身の回りのことができなくなると、私が妻とソラの世話をすることになった。そして今から5年前、妻が亡くなり、ソラと私だけの生活が始まった。ちょうどソラが10歳、人間でいうと還暦に相当し、私と同じ還暦どうし、老々介護がこれから始まるとソラに話しかけた。ソラの活動も以前に比べ低下し、椅子やソファーに飛び乗ることはなくなった。それでも結構家の中を走るのでフローリングの床で滑り、ある時から右後ろ足がうまく運べず、3本足で跳ねながら歩くようになった。昔手術した右膝蓋骨が脱臼しており、どうするか悩んだ結果、保存的に経過をみることにした。幸い室内での歩行もなんとか頑張ってできるまで回復した。私はフローリングを滑りにくいペットコーティングに塗り替え、カーペットを敷いて滑りにくくしてあげた。いつの間にか私がコロコロでカーペットの掃除を始めると、ソラはフローリングをペロペロなめて掃除を手伝うのが日課になっていた。
20221012-3
妻が生きていた頃は、一日中ソラのそばには妻がいたが、週末以外は朝から夜までソラは一人でお留守番することになった。私が仕事や外出時、時々モニターでソラの様子を観察すると自分の寝床で寝ていることがほとんどであった。妻のしつけのおかげで、ソラの世話にあまり手はかからず、「ソラちゃんはスーパーウルトラおりこうちゃん」と毎日何回も褒めてあげた。ソラの世話をすることで妻を亡くした悲しみが随分癒されたと思う。私が昨年大病を患い、京都で入院生活をしていた3か月余は、名古屋の娘夫婦にソラを預かってもらったが、その後は再びソラと生活しながら、京都へ治療で通う生活を続けていた。そうしてソラと私だけの日々が5年を過ぎようとしていた今年の春頃より、ソラの呼吸回数が多いことが気がかりになった。ソラの呼吸は1分間に13-15回であり、犬も人間と大差がないものだと不思議に感心していた。しかし春頃から呼吸回数が20回を超え、腹ばいに伏せる時間が多くなった。6月上旬には変な咳嗽と水溶性のよだれを認め、呼吸回数も30回と頻呼吸となり、動物病院で心不全による肺水腫と診断された。ちょうど私が仕事に復帰する少し前のタイミングであり心配した。利尿剤等の注射と飲み薬により、数日で症状は改善したがソラも15歳、そろそろチワワの寿命を迎える時期でもあり、私が元気なうちに看取ってあげたいと考えるようにもなった。次第に食事の量も減ってきていたが、病状は横ばいのようにも思えた。8月末の夕方、私が外出中にスマホのモニターを確認したところソラが苦しそうに荒い呼吸を繰り返し、恐らく私の帰りを待っているのか玄関の方向をしきりに気にしている様子が見えたので、用事を済ませて急いで帰宅した。家に入ってすぐにソラに寄り添った。胸に両手を添えると、早い鼓動が伝わってくる。頻拍のためよくわからなかったが、やや不規則にも感じたので頻拍性の心房細動のため肺水腫が増悪したと考えた。横になれないのは人間でいう起坐呼吸の状態であろう。鼓動が落ち着くように祈りながらひたすら胸をさすってやった。人間と違って苦しそうな表情が一見して分からないが、身の置き所がないのか、右を向いたり、左を向いたり落ち着きがない。また、舌が真っ青で高度のチアノーゼ(低酸素状態)であることは一見して理解できた。この時、自分はこのままソラの最後を看取ることになると言い聞かせた。2時間ぐらいソラに寄り添った後、ソラが自分の寝床に移動しうつ伏せになったので、少しは落ち着いたのかと思い私も近くのソファーに横になった。もう0時をまわって日付は翌日に変わっていたが、今夜はソラの近くで休むことにした。1時間ほど過ぎ再び目が覚めた時、私が寝ているソファーの近くで先ほどよりさらに苦しそうな頻呼吸となり落ち着きがないソラの様子が見えた。また、胸をさすってあげようと両手をソラの胸に当てた時、先ほどよりもっと強い規則正しく早い鼓動が伝わり、今度は心室頻拍で肺水腫がさらに悪化したのだと思った。ずっとソラの胸に両手をあてながら最後に妻を看取った時のことを思い出した。呼吸困難の苦しみを和らげるため、鎮静剤を投与されていたが、高容量でも十分鎮静が効かず、最後の4-5時間は妻とともに自分にとっても辛くて苦しい時間が過ぎた。今、ソラが同じように呼吸困難で辛い時間を過ごしている。妻の時と同じように、「少しでも長く生きてほしい」という気持ちと「早く呼吸も心臓も止まってほしい」というアンビバレントな気持ちが交錯する。そしてしばらくした時、ソラは自分で腹ばいになったかと思うと、今までの荒い頻呼吸がゆっくりした呼吸に変化した。この時手を胸に当てると、あれだけ胸が張り裂けんばかりに拍動していた心臓の鼓動が伝わらなくなり、しばらくしてゆっくり不規則な鼓動が手に伝わってきた。心室頻拍は心室細動に移行し、今は最後の不規則な心筋の収縮が起こっていると理解した。やがて呼吸は止まり、鼓動も消え、天に召された。「ソラちゃん、よく頑張ったね。長い間ありがとう。これからはまたお母さんと一緒に遊べるね」と泣きながら話しかけた。妻を看取った時と同じように悲しみに堪えながらソラの体と寝床を綺麗に整えた。夜が明けてから近くのペットセレモニーに連絡した。葬儀は翌日の午前中になり、お花、生前の写真やお手紙など一緒に火葬できるものを持参してくださいと言われたので準備し、ソラに手紙も書いてあげた。
ソラちゃんへ   お父さんより
「ソラちゃん。お母さんが亡くなった後、長年お父さんの心を癒してくれてありがとう。ソラちゃんと二人ぼっちの5年間の生活だったけど、お父さんは本当にソラちゃんが居てくれたおかげで頑張ってこれました。ソラちゃんは、スーパーウルトラおりこうちゃんだよ。ありがとう。これからは天国でお母さんと昔のように思う存分遊べるね。その内お父さんもそちらに行くからまた一緒に遊ぼうね。待っててね。
大好きなソラちゃんへ」
20221012
翌日10時にソラを葬儀場に運んだ。娘が以前よりソラの葬儀には立ち合いたいと言っていたが、ちょうど第一子の出産と重なり、結局葬儀は私ひとりが立ち合った。葬儀は静かに進行し、最後のお別れの時が来た。私が思っていたより立派な葬儀をしていただけたと思った。火葬までは瞳が乾燥しないように2時間ごとに目薬をさしてあげていたので、ソラの顔を見ていると今にも動き出しそうな錯覚に陥りながら最後の別れを惜しんだ。火葬が終わり、午後3時ごろにソラの遺骨を引き取った。自宅に戻った時、もう家に帰ってもだれも出迎えてくれる者がいなくなったと思うとまた悲しい気持ちになった。ただ居るだけで心が安らぎ、幸せにしてくれる存在。「存在の愛」と表現するのが適当か分からないが、ソラはそんな存在であった。ソラの遺骨は冬になったら庭の花壇に散骨し、遺骨の一部はカプセルに入れて薔薇の垣根の下に埋め、墓碑を建ててあげるつもりだ。今まで長年ソラがお世話になったトリミングショップと動物病院には長年のお礼も兼ねて、ソラが永眠したことをはがきで伝えたところ、すぐにお悔やみのお花を届けて頂き感謝の気持ちでいっぱいになった。トリミングショップのオーナーが直接自宅に立ち寄ってくださった時、オーナーのご主人も今年の春にお亡くなりになられたことを初めてお聞きした。この時不思議なことに急に悲しかった自分の経験がフラッシュバックのように現れ、自然と涙があふれた。
今まで自分の全く知らない他人の悲しみや苦しみに涙する人々の気持ちが分からないと思っていたが、この時初めて少し理解できたような気がした。
「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」(ゲーテ)
冒頭、人生は悲しみに溢れていると述べた。思えば還暦を迎えるころから悲しい出来事が続いた。妻との死別。昨年自身も大病を患い、絶望と苦しい時間を過ごした。そして今回妻が残し、生活を共にしてきた愛犬との別れ。しかし、どんな悲しみもやがては乗り越えなければならないものだ。妻が亡くなった時、私は墓碑にこう刻んだ。
「心穏やかに、いつも笑顔で生きる」
息子が結婚した2日後に妻が亡くなり、娘が出産した2日後にソラが亡くなった。今年3月には長男の第二子が、8月には長女の第一子が生まれ、今は三人の孫たちのお爺ちゃんにもなった。人生は悲しみだけではなく、喜びもまた巡ってくるものだ。悲しみも喜びも交錯しながら生きていく、人生とはそういうものだ。
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格がない」(レイモンド チャンドラー)
2022年10月 松下豊顯