松下医師コラム ~仏の雫~ 第5話

赤ワインが苦手で、ワイン知識ゼロの小生が「何とか赤ワインを美味しく飲めるようになりたい」と奮闘努力したワイン修行の初期体験記、第5回目である。小生にとって修行の旅は新しい発見の連続であり、思わぬ展開に身を任せ進んで行く。話のつながり上、第1回目(いつきクリニック一宮ブログ2019.9.17に掲載)から順に目を通していただければ幸いである。それでは旅の続きをご一緒に。

11.ワインの匂い(香り)

「レモン・青りんご・白い花・ピーマン・ミント・ミネラル」、「カシス・ブラックベリー・プルーン・オリーブ・黒コショウ・腐葉土・血液・トースト」これは白ワインと赤ワインの匂い(香り)を示す表現の一部である。小生が通っていたワイン教室の先生から「ワインの匂い」と言ってはいけません、「ワインの香り」と言いなさいと教えられた。香水の香り、花の香りなど「香り」は好ましいものを嗅ぐときに表現される。一方「におい」は書き言葉では、好ましいものは「匂い」、好ましくないものは「臭い」と表現されるものの話し言葉では区別がつかない。そのため好ましいにおいを表現する「香り」を使うのがより適切なのであろう。ただ「仏の雫 第4話」でも触れたがワインは時々保存状態からくる劣化により好ましくない香りを嗅ぐこともあるため、この章では「ワインの匂い(香り)」とした。
さて、ほとんどの人は小難しい香りの分析など必要なく、食事に合わせてワインを美味しくいただけばいいのだが(マリアージュ)、香りを楽しめればより一層食事も楽しくなること請け合いである。そして本格的にワインのテイスティングを学びたい人は、香りの分析はとても重要で、ソムリエ協会テイスティング試験でブドウ品種を正解するためには避けて通れぬ道である。先生曰く「テイスティング試験に合格するためには正しい香りの分析で8割は決まる。香りが分からなければ、飲んでも分からない。」そうである。ただ実際の試験ではブドウ品種を間違ても、ワインの特徴(色調、香り、味わいなど)が正しく分析できれば加点されるようだ。

ワインの香りを分析する作業は、香りの中に存在する様々な要素を探し出していくことである。香りの要素を発見することにより、ワインの全体像を理解し、さらにどのような食事が合うのかイメージが膨らんでいく。たとえばフランス、ブルゴーニュ地方を代表する白ブドウ品種にシャルドネがある。しかし同じシャルドネでも北のシャブリ地区と南のコートドール地区では全くワインの性格が異なり、それは香りにも表れる。「牡蠣にシャブリ」という言葉を聞いたことがないだろうか。シャブリのシャルドネはレモンやライム、青りんごなど冷涼な柑橘系の香りと石灰質を連想させるミネラルの香りが特徴である。また樽熟成をしないので熟成を感じさせる重たい香りはなく、フレッシュな白ワインであり、新鮮な海鮮料理とのマリアージュがお勧めである。一方シャブリ以外のブルゴーニュ南部ではシャルドネをしばしば樽熟成させ濃厚で重たい白ワインを造る。香りも赤リンゴ、洋ナシのようなやや熟したフルーツやアーモンドやバター、トーストのような樽熟成からくる香りが特徴で、クリームを使った魚料理や鶏肉、豚肉料理とのマリアージュがお勧めである。同様に赤ワインについても、フレッシュで比較的早飲みに適したワインや長期熟成に適したワインで香りも異なる。このように香りを分析することにより大まかなワインの性格が類推でき、ワイン選びや食事も楽しくなる。
ではどのように香りを分析するか。色々な学習方法があると思うが、小生はソムリエがよく使う表現のテンプレートをワインのカテゴリー毎に照らし合わせながら表現を覚えていく方法をお勧めしたい。フルーツの要素、フローラル(花)の要素、植物の要素、スパイス・ハーブの要素、さらに白ワインであれば野菜やドライフルーツの要素、赤ワインであれば動物やチョコレートの要素などを順番に探していく作業である。図1と2に小生がお世話になったテイスティングのテキスト「ワインテイスティングの基礎知識」(久保將 著)から白ワインと赤ワインの香りを表現するためのイメージパレットを紹介する。先に述べた香りの要素別に実際のワインの香りを嗅ぎながら当てはまる項目を探していく。白ワインでもフレッシュでフルーティーな飲み口を目指して創ったワインと、樽熟成して重ための白ワインでは香りの要素も違い、参照するイメージパレットも異なる。赤ワインでも同様である。

図1 若いフレッシュな白ワインのイメージパレット
(「ワインテイスティングの基礎知識」久保將 著 から引用)

図2 若い赤ワインのイメージパレット
(「ワインテイスティングの基礎知識」久保將 著から引用)

ここでワインテイスティング初学者にお勧めのブドウ品種を紹介したい。ワインの特徴をつかむにはブドウ品種の個性から入ると理解しやすい。一般的に黒ブドウより白ブドウに個性の分かりやすい品種が比較的多い。その中から2種類のブドウ品種を紹介したい。一つはゲビュルツトラミネール。ちょっと聞きなれない難しい名前であるが、ゲビュルツと略されることが多く、フランスのアルザス地方やドイツなど比較的冷涼な地域で栽培されるブドウであるが、チリや南アフリカなどニューワールドでも栽培されている。特徴はライチの香り。かなりフルーティーであり、一度飲むと印象に残ると思う。もう一つはリースリング。このブドウもアルザス地方やドイツで主に栽培されている白ブドウだが、世界中の比較的冷涼な気候の地域で栽培されている。特徴はペトロール香(石油香)と呼ばれる、石油っぽい香りであるが決して不快な香りではない。ワインによってペトロール香が弱い場合もあるが、かなり特徴的なので意識して香りを探して感じ取ると嬉しくなる。またゲビュルツと同じくフルーティーな味わいである。ワインのテイスティングで判別できるブドウ品種を持っておくと自信がつき、さらにテイスティングの幅を広げていくモチベーションにもなる。

ワインの匂いについて話してきたが、最後に嗅覚と記憶について少し触れてみたい。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚、いわゆる五感と言われる感覚の中で最も長く記憶にのこる感覚は嗅覚と言われる。昔の光景、特定の人物や場所が見たり聞いたりしても思い出せない時、匂いを嗅ぐことで記憶が蘇ると言うことがある。それは匂いを司る嗅神経だけが唯一記憶や情動を司る海馬や扁桃体と直接繋がっているためと考えられる。嗅覚以外の知覚神経は大脳新皮質や視床を経由して海馬や扁桃体に情報を送るため、そこに理性が介在する余地があるのに対して、嗅覚はダイレクトに記憶や情動を刺激する。また近年認知症による海馬の萎縮が始まる以前に嗅神経細胞の萎縮が始まり、認知症の極めて初期の段階から嗅覚障害がすでに始まっていることも分かってきた。嗅覚を鍛えることにより海馬を介して記憶や感情を刺激し、脳機能を活性化させる可能性も研究されている。テイスティングで嗅覚を鍛えることは記憶力向上、さらには認知症予防にも効果があるかも知れない。

いかがでしたか。赤ワインが苦手で、ワイン知識ゼロの小生が「何とか赤ワインを美味しく飲めるようになりたい」と奮闘努力したワイン修行の初期体験記の第5話。今回はワインの匂い(香り)のお話でした。日本ソムリエ協会テイスティング試験では受験者はみな香りの分析に悩まされ、そのおかげでと言うか、今でもワインを頂くときはいつも条件反射的に香りを分析してしまう・・・。そしてワインの匂いについて書いていくうちに、学生時代よく聴いたなつかしいメロディー、「ワインの匂い」がBGMのように繰り返し繰り返し流れていく。

ワインの匂い

ワインの好きなその娘はいつでも
いくつもいくつもメロディーをつくって
窓から遠くを見つめながら
やさしく哀しいピアノをひいていた

別れたひとの思い出をうたにして
涙を流しては口ずさんでいた
はじめてふたりで歩いた日に
あの娘はささやいた 眼をとじたまま

私はもう誰も好きに
なることもない 今は
ありがとう あなたはいいひと
もっと早くあえたら

逃げてゆく 逃げてゆく 倖せが
時の流れにのって あの娘から
しばらくの間この街から
離れてひとり旅にでてみるの

あの雨の日 傘の中で
大きく僕がついた
ためいきはあのひとに
きこえたかしら

いつきクリニック一宮 医師 松下豊顯