松下医師 コラム~仏の雫~

仏の雫(ほとけのしずく)
はじまり
唐突であるが「フレンチパラドックス」という言葉をご存知でしょうか?
欧米では心筋梗塞による死亡率が非常に高いのは良く知られている。しかしフランスでは、脂っこい肉食やチーズ・バターの摂取が多いにもかかわらず心筋梗塞の死亡率が低い。これはフランス人が赤ワインを好んで飲み、赤ワインに含まれるポリフェノールが動脈硬化を予防すると考えられ、これを即ち「フレンチパラドックス」と言う。
その赤ワインであるが、私、お酒は結構好きな方だが、赤ワインだけは苦手で、美味しいと思って飲んだ記憶がない。そんな私があるきっかけで赤ワインの勉強(自分で「ワインの修行」と呼んでいる)を始めることになった。
今回は医学・医療の話ではなく、「赤ワインと私のかかわり」について話してみたい。
ワインに関して全く素人の私と赤ワイン修行の旅の珍道中。現在初期の体験記として随筆を執筆中。
「神の雫」というワインを題材とした有名な漫画ではイエスキリストの十二使徒にちなみ十二本の高級ワインが紹介されるが、自称ブディスト(仏教徒)の私は仏陀の十大弟子にちなみ、ワイン初学者なりに感銘を受けた十本の安旨赤ワインを独断と偏見でご紹介する旅に出発したい。それでは珍道中のはじまりはじまり。
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1.ある夏の日
それは2011年6月も下旬、肌が汗ばむ初夏を迎えようとするある土曜日の午後の出来事であった。小生は缶ビールを求めて近くの酒量販店をふらついていた。
仕事から帰宅し、夕食時に缶ビール1缶を飲み干すことをささやかな楽しみにしてきた小生は、「ポルトガルから美味しいビールを入荷」という新聞のチラシ広告をある日発見した。早速そのビールをゲットするためにやって来たのだ。
お目当てのビールを買い物かごに放り込んだ後、店内をうろついていた時だ。何やら面白そうなビデオテープの声が聞こえてくるではないか。それも健康に関する話であるらしく、「認知症」が何やらかんたらと言っている。これは聞き捨てならぬと思い、その情報を精査せねばとモニターの前に陣取った。
どうやら情報のソースはテレビのあるニュース番組のようで、司会者が「赤ワインが認知症予防に効果がある」という医学的根拠を語っている。フレンチパラドックスとして知られるように、以前から赤ワインに含まれるポリフェノール(レスベラトロール)に抗動脈硬化作用があることは広く知られている。しかし、認知症予防にも効果があるという情報は初耳であった。
そういえば最近(以前からか?)物忘れが気になりだした小生は、赤ワインでも始めてみようかと一瞬思った。しかし次の瞬間ひるんでしまった。アルコールが嫌いではない小生はビール、日本酒、焼酎、ウィスキー、カクテルなどほとんどの酒は楽しんで飲んでいる。しかし、今日までワインを飲む機会は何回もあったが、正直なところ赤ワインを美味しいと思ったことは一度もなかった。
自分からワインを飲むなら白かロゼ、時にスパークリングという調子であった。またワイン通と呼ばれる人種は薀蓄を語りたがる自分とは別世界の人々であるという思いもあり、酒は楽しむものであり「赤ワインは」自分にはとうてい敷居が高すぎると断念した。
が、その時ふと内なる声が囁いた。子どもに「サイダーとビール、どちらが好きか」と尋ねたら、「サイダーが好き」と言うに決まっている。しかし大人になったとき同じ質問をすれば「ビールが好き」と答えるであろう。自分はワインに関して、まだ子どもではないだろうか。自分の味覚を鍛えればきっと赤ワインが美味しいと思えるようになるかもしれない。いや、そうであるに違いない。気が付けば我が買い物かごにはビールと赤ワイン2本が入っていた。
かくして、小生と赤ワインの修行の旅は始まった。
2.最初に買った赤ワインは・・・
小生がワインの修行のために初めて購入した2本の赤ワインについてお話ししたい。
お酒と名のつく飲料はあまたとあるが、ワインほど多種多様で、世界中で造られ、かつ製造年により味わいが異なる酒類はない。多様性はお値段についてもしかり。ワンコインで買えるものから、一本100万円以上するものまで(誰が買うのだろうか)、他の酒類では考えられない幅がある。
そんな多様なワインの中から小生が選んだ2本のワイン。ワイン知識ゼロの小生が選ぶワインは当然「安くて美味しいワイン」である。といっても自分で選ぶ能力なし。ひたすらワインのキャッチコピーとお値段のにらめっこ。
30分ぐらい熟慮の末、結局購入したのは「ワンコインで買える金賞ワイン」の言葉につられて買った500円台の南アフリカ産赤ワイン。南アフリカでもワインが造られていることを初めて知る。もう1本は「ハリウッドスターのトムクルーズも自家用ジェットで買いに来るワイナリー」というキャッチコピーにつられ、南フランス産赤ワインを1000円程度で購入。2本でしめて1500円程度の出費は高いのか安いのかも分からず、「ビールだと何本買えたかな」などと思いながらレジを済ませ店を出た。
帰宅後、早速南アフリカのワインを抜栓し、家にあったワイングラスに注ぐ。後に、ワインにとって香りの要素がいかに重要かを知ることになるが、この時は香りも気にせず一口含み、しばらくしてゆっくり飲み込んだ。「・・・」、「・・・うーーん・・・。美味しくない。」気を取り直してゆっくりグラスの残りを飲み干した。「・・・、何とか美味しいと思いたいのだが・・・」。「金賞ワイン」の言葉に少しは期待したが、やはり現実は厳しいか。
その後、泣きながらボトル半分のワインを飲み、残りの半分は明日再チャレンジすることにした。ワインのフルボトルは750mlである。我が家では小生しかアルコールを飲まないため、この日からおよそ二日に1本のペースでワインを飲むという厳しい修行が始まり、現在もその修行は続いている。
さて、翌日残りのワインを飲んでみたが印象は変わりなく、ちょっと残念な気持ちで1本目の修行を終えた。その翌日、南フランス産の2本目を抜栓し、リベンジをはかる。ゆっくり口に含み、しばらくして飲み込んだ。「・・・うーん。・・・1本目のワインより少しはいいかも・・・。」しかし、美味しいと感じるにはほど遠く前途多難なワイン修行の旅を予感させる出発となった。
3.ワインは化ける
旅には地図が必要だ。ワイン修行の旅もしかり。早速書店に走り、ワイン初学者のためのガイドブックを購入した。最初の数か月で10冊程度のワイン関連書籍を読んだであろうか。その中で、非常に勉強になった2冊を紹介したい。
まず、漫画家の弘兼憲史著「知識ゼロからのワイン入門」。まさしくワイン知識ゼロの小生にとってぴったりのガイドブックではないか。ワインの基礎知識のみならず、かなり奥深い内容まで初学者にもわかりやすく、小生のワイン修行の基礎を鍛えてくれた書籍である。
もう1冊はワインジャーナリストの葉山考太郎著「四大帝王を直撃!偏愛ワイン録」である。かなりマニアックな内容ながら、著者のユーモアあふれる語り口のため初学者にも読みやすい。ワインを取り巻く社会の仕組みを理解する上にも格好の書籍だ。
たかがお酒の一つに過ぎないワイン。楽しむのに理屈や知識は必要ないと多くの人は考えるだろうし、小生もそのように考えていた。しかし、それが誤りであったことを修行の中で繰り返し経験することになる。確かに何をどのように飲食しようが、本人が美味しいと感じ、満足している限りにおいて、その人にとってそれが最高の価値であることは間違いない。
しかし、高級な霜降り肉をフライパンでベーコンのようにカリカリに焦がして、「この肉は美味しい」と言いながら食べている人に出会ったとしよう。「本人が満足ならば」と思いつつも、「人間のために自らが霜降り肉となり、身を捧げてくれた牛さんが成仏できないかも」と考えるのは小生だけだろうか。ブドウの木も生き物であれば、ブドウをアルコールと炭酸ガスに変え(発酵)、ワインを造ってくれる酵母も生き物である。できれば美味しく飲んであげた方が彼らもきっと浮かばれるはず。
最初に学んだことは「ワインの魅力を引き出すには、適したワイングラスを選択せよ」であった。
それまで小ぶりのワイングラスしか自宅にはなかったので、一念発起しワインラヴァーには定番グラスと言われる、リーデル社製のワイングラス2脚をアマゾンで取り寄せた。今までのワイングラスと比べかなり大型である。グラスどうしを、乾杯よろしく軽くタッチさせた。「ごーーーん」とまるで梵鐘のような響きが心地よい。グラスは大きいが、厚みが薄いためよく響く。グラスにワインを注ぎ、ゆっくりグラスを回しながらワインを撹拌し、香りを感じる。これが同じワインかと衝撃を受けた。グラスによってこれほど薫り方が違うのかということ、ワインにとって香りの要素がどれほど重要であるかということを思い知らされた瞬間であった。
抜栓直後のワインはそれまでほとんど空気と触れない状態で眠りについているため、空気と触れあった瞬間からワインに変化が始まり、これをまるで花が開花するように「ワインが開く」と表現する。ワインの中に閉じ込められていた様々な成分が、香りとして立ち昇り、ソムリエたちは果物や花や鉱物などに例えて表現するのだが話が難しくなるのでこの辺でやめておく。
大きめのグラスはワインと空気との接触面が広く、香りをため込むスペースも広いため、ワインの魅力を大いに引き出してくれる。最悪の飲み方は、小ぶりのグラスになみなみワインを注ぐことだ(シャンパーニュのようなスパークリングワインは、なみなみ注ぐこともある)。ワインにより香りの質も様々であるが、いずれにしてもワインの良い要素をうまく引き出すために、いかにグラスが重要かということだ。これからワインを始める方には、ぜひワイングラスには初期投資されることを強くお勧めする。
ただ大型のワイングラスは洗浄と収納場所に困るものだ。大きさの割にガラスが薄いため、ワイングラスだけは自分で洗うことにしていたが、ある夜うかつにもグラスをシンクに置いたまま寝てしまった。翌朝カミさんに見事に割られてしまっていた。それ以来、ワイングラスは必ず自分で洗浄し、拭いて片付けることを欠かしたことはない。
赤ワインが苦手で、ワイン知識ゼロの小生が「何とか赤ワインを美味しく飲めるようになりたい」と奮闘努力したワイン修行の初期体験記。小生にとって修行の旅は新しい発見の連続であり、思わぬ展開に身を任せ進んで行くのだが、今回はこれまで。不定期ながら次回にこうご期待。
ソムリエ
いつきクリニック一宮 医師 松下豊顯