闘病記(医師が病に伏して思うこと)第8話

闘病記(医者が病に伏して思うこと)
第8話 治療経過(2)と感謝、たぶん最後の闘病記
いつきクリニック一宮 松下豊顯
早いもので闘病記も第8話を執筆するに至り、ブログに寄稿を始めて半年以上が経過した。多くの患者様や職員の皆様には長きに渡り大変ご迷惑をおかけしたが、私は2022年6月21日より仕事に復帰することが叶った。と言っても火曜日夕診と水曜日午前診の外来2枠のみであるが、それでも闘病記を始めた頃、皆様にお約束したように、約6カ月の治療期間を経て、再び診療に戻ることができたことは、この上ない喜びであり、私の病気のためにご尽力していただいたすべての人々と神に感謝したい。仕事に復帰したため、この闘病記も今回をもって取り敢えず一旦完結とさせていただきたい。
思えば昨年10月に血管内大細胞型B細胞リンパ腫(血管内リンパ腫)を発症し、2022年4月17日で約半年間の化学療法が終了した。5月にPET-CTなどの検査を行い、寛解と判定されたため、6月21日から職場に復帰した。発病から今日まで、長かったようでもあり、短くも感じる半年余りの期間であった。手足の痺れと、それに続く倦怠感で発症し、一日一日自分の身体が衰弱していく速さに死の予感さえ感じながら、自由の利かない身体を病床に横たえ、色々思いを巡らしていた時期が遠い昔のようにも感じる。今となっては発病当初の苦しい病床生活も少しずつ記憶から遠ざかっていくのを感じるが、闘病記初期の原稿を読み返すと、当時の記憶がよみがえる。執筆当初は闘病記録を残すことに戸惑いもあったが、今となっては闘病記録を残しておいて良かったと思っている。闘病記第3話、治療経過(1)ではおよそ2021年年末までの治療経過をお話しした。今回は2022年1月以降の治療経過を前半で述べ、後半では闘病生活全体を振り返って、今私が感じていることをお話しして闘病記を閉じたい。
【治療経過(2)】
さて治療経過の続きである。本闘病記では、初期の診断や治療経過の記載は医学専門用語が多く、一般の読者には分かり難い点があったことをお詫び申し上げたい。ただ、自らこの希少疾患の患者になった運命上、病気に関する詳細な記録を残しておくことも医師としての義務(あるいは医師の性)と考えてのこととお許し願いたい。また本闘病記では「化学療法」と「抗がん剤療法」を敢えて使い分けた。「化学療法」は広い意味で悪性腫瘍に対する薬物治療全般を表す言葉だ。私が受けた化学療法は6種類の薬剤を使用したが「リツキサン」以外はすべて所謂古典的な抗がん剤だ。私が医師になった40年前にすでに抗がん剤として現役で治療に使われていた薬剤だ。人間の身体は常に古い細胞が新しい細胞に置き換わる新陳代謝を行っている。そのため細胞分裂(1つの細胞から新しい2つの細胞に増殖すること)を繰り返す。古典的な抗がん剤は細胞分裂期に細胞障害を与え、死滅させる薬剤である。がん細胞は細胞分裂を頻回に繰り返し、抗がん剤がより効果を発揮する。しかしがん細胞だけではなく正常の細胞も障害を受ける。特に造血細胞、消化管粘膜細胞、毛根細胞など新陳代謝の著しい細胞ほど障害される。現在臨床で使われている抗がん剤はすべて1980年代以前に開発された薬剤だ。医学の進歩により悪性腫瘍(がん)は何らかの原因で遺伝子に障害が起こり、細胞分裂が制御できなくなり発症することが解明された。そのため1980年代以降は、がん細胞に特異的に作用する薬剤の開発が主流となり、古典的な抗がん剤が新たに開発されることはなくなった。私の治療で使用された抗がん剤もすべて長い歴史のある薬ばかりだ。
さて私の治療経過に話を戻すと、2021年年末までR-CHOPと呼ばれる化学療法を3クール終了した(闘病記第3話参照)。血管内リンパ腫は脳神経系への浸潤が比較的みられるため、脳神経系への薬剤移行に優れたメソトレキセートを加えた治療プロトコールが施行される。私も2022年1月4日より約1カ月の入院でメソトレキセートの大量点滴療法を2周間隔で2回受けた。メソトレキセートを大量に点滴静注することで、脳神経細胞に十分薬を移行させた後、多量の点滴と飲水により、できるだけ早く薬を尿中に排泄させる治療である。メソトレキセート血中濃度が高いままだと肝臓や腎臓に障害が及ぶため、治療から5日間は血中薬物濃度測定と1日2回の尿PH測定(尿が酸性に傾くと薬の排泄が悪くなるため、定期的に酸・アルカリを測定し補正する)、そして排尿の度に尿量測定を行う。これがなかなか大変であった。昼夜問わず大量の補液のため、深夜も1時間おきにトイレに行き、尿量を自分で計測記録することが5日間も続くのはかなり辛い作業であった。ただ毎日の採血がCVポートから施行され、血管に注射針を刺されることがなかったのは有難かった。2周間隔で同じ治療を2回繰り返し、1月下旬に退院した。退院後は再び外来でR-CHOP(7、8クール目はメソトレキセートの髄注も)治療を3週間の間隔で3回繰り返した。化学療法の翌日にメソトレキセートの髄注を施行し、翌々日にG-CSF製剤(白血球を増やす薬剤)の皮下注射を施行。その2週間後の血液検査に問題がなければ、次の化学療法を繰り返し、2022年4月17日に約半年間の治療が終了した。化学療法が始まった頃は今年春頃には元気になっているつもりであったが、強い抗がん剤を半年に渡り繰り返す治療はやはり身体にかなり影響し、特に今年になって化学療法の度に体力が落ちていくのを感じた。長時間の激しい肉体労働後のような全身のだるさと脱力感に悩まされ、活動能力はかなり低下した。手足の痺れと左足運動障害のため歩行にも苦労し、お箸の扱いや、書字、ボタン掛けにも悪戦苦闘している。化学療法が終了した今、薬の影響が徐々に体から抜け、このような身体の状態が徐々に改善に向かってくれることを願うばかりである。現在この原稿を執筆している時点で、体力的には発病前の4-5割程度といった感覚である。幸い、気力は発病前とほとんど変わりなく、化学療法の結果、寛解状態と判定されたので何とか診療に復帰することができた。
【闘病生活を振り返って】
「血管内リンパ腫」は微小血管内で増殖する珍しいタイプのリンパ腫であり、どうしてこのような場所で増殖するのか不思議な性質だと思う。この疾患は不明熱の鑑別診断として名前が挙がるほど、最近では認知度も高いようだ(私は知らなかったが・・・)。しかし疑うことは容易でも、診断を確定することは容易ではない疾患とも言える。
発病初期の倦怠感と病勢の進行の速さには驚かされた。発病から僅か10日余りの短期間に絶望的な倦怠感でほぼ寝たきり状態となり、輸血が必要になるまで貧血は進行し、死が頭をよぎった。そして治療が始まると、見る見る倦怠感が消えていく劇的な変化にも驚いた。現在、仕事に復帰できるまでとりあえず回復できたことは喜ばしい限りだが、必ずしも病気が治癒したわけではなく、再発する可能性を常に考えながら生きている。また回復したと言っても、四肢の痺れ、知覚障害、歩行障害が残っており、特に歩くという基本動作が上手くできないだけで身体的パフォーマンスが著しく損なわれた実感が強い。また、抗体を産生するBリンパ球の悪性腫瘍であると同時に、治療で6カ月以上投与を続けたリツキサンはBリンパ球に障害を与え、治療終了後も6カ月以上は作用が持続すると言う。そのため免疫力低下による感染リスクを常に心配しながらの生活である。ワクチン接種をしても十分抗体ができないと考えられ、新型コロナウイルスが問題となっている今日、診療に復帰はしたが自身の感染リスクを心配しながらの日々診療している。このように体力も万全ではない状態ではあるが、今与えられた状況の中で何とかがんばって前に進んでいくしかないと考えている。
今回は闘病生活を通して様々な体験をした。多くの先生方や看護師、医療スタッフの努力と家族や多くの人々の支えのおかげでここまで回復できたことは、ほんとうに感謝してもしきれない気持である。そして今後病気の経過が良くても、悪くてもその結果はすべて自分が引き受ければいいことだとも思っている。これは自分の病気であるのだから。
今回このような苦しい闘病生活を経験し、もう一つ自分に変化が起きたことは、縁あって私が知り合った全ての人々の健康と幸せを心から願うようになったことだ。
半年以上に渡り、私の闘病記に目を通してくださった皆様に感謝と、これが最後の闘病記であることを願いつつ稿を閉じさせていただきたい。
ありがとうございました。
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